希望なき<生命>


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エピローグ・その後の魔法生物


 『魔法生物生成実験室』を開く唯一の鍵は、部屋の中に残された。
 冒険者とシミュラクラが見守る中、実験室と外部とを隔てる壁が、音もなく出現する。こうして、魔法王国の遺産がまた一つ消えることとなった。

 冒険者とシミュラクラは、時が来るのを静かに待ち続けた。グランディの強い要望により、『スペア・キー』は部屋の中に残されている。
 やがて、何もなかった空間に実験室と外部を隔てる壁が音もなく出現する。こうして魔法王国の遺産がまた一つ、闇の中へ消えていった。

 同日夕刻、賢者の学院・バイナル研究室。
 ウィードたちからの報告を、バイナルは不景気な面をさらに不景気に染めて聞き入っていた。時折オウガを見るその目は「あれほど『私の仕事を増やすなよ』と念を押したのに!」と如実に語っている。
「……そういうわけで、このシミュラクラ達のこと、何とかうまく取り計らってもらえないかな。悪い奴らじゃないんだ」
 パーティ・リーダーのウィードバルが話を締めくくったのを受けてバイナルは口を開きかけたが、すぐに首を振って目を閉じた。ウィード達の言葉はグランディとシェリーに通じていなかったが、二人とも空気から何かを感じ取っているようだ。不安と期待に満ちた目で、バイナルの挙動を見守っている。
 やがてバイナルはため息をつき、ゆっくりと話し出した。
「私に与えられているのは……遺跡を調査する権利。そして、それを報告する義務だけだ。そこで発見された『もの』は、あくまで学院に帰属することになる。わかるかね?」
 常識的理解力のある者は、全員頷いた。
「ならば話は早い。要するに、私にその『意志あるシミュラクラ』の処遇を決める権利はないのだよ」
「なに、それでも構わん。バイナル、お前が上層部に頼めば済むことだろう?」
「甘い甘い、オウガ。シミュラクラとはすなわち魔法生物。魔法王国の魔術師によって生み出された存在だ。魔術師連中が、人権など認めると思うか?!」
 大袈裟な身振りを交えて問いかけるバイナル。
「だったらバイナル。お前も、この二人の人権は認めんわけか?」
「いや。こう見えても私は魔術師ではない、ただの賢者だ。しかも、古代語魔法に関する研究になど一度も手を出したことはない。魔術師のように極端な偏見は持っていないぞ」
 決して自慢できる話ではないはずなのだが、バイナルは得意げに胸を反らせてみせた。
「しかしな。『賢者の学院』では、むしろ私のような人間の方が少数派なのだよ。一般人を含めても、その比率は変わらんだろう。いや、むしろ悪くなるはずだ。一般人が魔法に抱く『不信感』は、我々の想像以上だからな」
「確かに、そうかもしれないわね……」
 唇を噛んで、シェルナが呟く。
 半分は人間の血を引いているハーフ・エルフですら迫害の対象となる。彼女はその事実を、この場にいる誰よりもよく知っている。
「シェルナ、シェルナ。あたし達は、全然『フシンカン』なんて持たなかったぞ。なんで『イッパンジン』はそんなのを持つんだ?」
「ふにぃ。兄弟、よ〜するに『イッパンジン』ってのは、あたしらの感性からかけ離れた、かなり特殊な種族ってことじゃないかねぃ?」
「おおっ、なるほど。さすがは兄弟!」
 研究室の壁へもたれ掛かって頭を抱えたシェルナに、ポムが指を振ってみせる。
「冗談だって」
「……」
 二人のグラスランナーはオウガの手により、、即刻ロープでグルグル巻きにされた。
「あとな、実際現地を見に行かないと詳しいことはわからんが、この部屋にはもう立ち入ることができないんだろう? これはマイナス要素になるかもしれんぞ」
 ウィードバルが書き記した地図の一カ所をペンの背で叩いて、バイナルが指摘する。最後に訪れた『魔法生物生成実験室』だ。
「俺は最後まで『鍵を半分ずつに分けよう』って主張したんだけどな……」
「全部揃わなければ入れないのなら同じ事だ。いや、中途半端に期待を抱かせる分、そっちの方がたちが悪いかもしれんぞ」
「それもそうか……」
 一応は納得するウィードバル。
「まあいい。これ以上の事は、さっきも言ったように私の一存では決められんことだ。明日にでも上へ話を持っていって、検討を始めるとしよう。そこのシミュラクラには、しばらく学院内に滞在してもらう。結論が出たら、君たちにも連絡しよう」
「うむ。ところでバイナル、肝心の報酬だが……」
「そっちの方もしばらく待っていてくれ。私自身が遺跡に赴いて、調査が済み次第支払うことにしよう」
「む……まあ、よかろう。ではまたな」
 オウガは大仰に頷くと、研究室から出ていった。他の面々も彼に着いてゾロゾロと退去したが、しばらくしてポムが引き返してきた。
「何か忘れ物か?」
「うん、忘れモノ。バイナルのおっさん。これ、返しとく。レンタル料は報酬から引いといてくれ」
 借りていたコモン・ルーンの指輪(エンチャント・ウェポン)を指から引き抜いてバイナルに手渡すと、そのまま振り返りもせずに走り去っていった。
 呆然としたまましばらく固まるバイナル。やがて彼は我に返ると、流暢とは言えない下位古代語でグランディ達と会話を始めた。

 同日夜、場所は同じく賢者の学院。
 シミュラクラ二人が滞在することになった一室に、来訪者の姿があった。
クッククク……ちょっと開けてくれねぇか?
 戸を叩く音と共に聞こえたその言葉、わけても冒頭の一節が実に特徴的である。グランディは何の躊躇いもなく扉を開けた。
何かあったのか?
いや、そういうわけじゃないんだがよぉ……ちょっと聞きてぇことがあってな
 戸口に立ったまま、声の調子を幾分落として語を続けるカヴァレス。
俺ぁ、不老不死が研究テーマなんだ。それで、そういうことについて何か知らねぇかと思ってな。どんな些細な事でもいい、教えてくれねぇか? クッククク……
 大嘘である。
 実際は彼自身が「不老不死」を夢見ている、ただそれだけの話だ。
 しかし、彼との付き合いが浅いシミュラクラにそれを推し量れというのも無理な相談である。グランディは頷いて答えた。
まあ、知っているには知っている。オリジナルは、そういうことにも造詣が深かったからな
ほ、本当か?!
 頬を紅潮させるカヴァレス。
ああ。しかし前にも言ったと思うが、分不相応な知識は身を滅ぼしかねんぞ。それでもお前は、知識を望むのか?
もちろんだ! さあ、その知識とやらを……
「ここで何をしておる、カヴァレス」
 弱々しい老人の声だったが、カヴァレスは死ぬほど驚いた。
 声の主はカヴァレスの横──ちょうど扉が死角になって、部屋の中からは見えない──に立っていた。神をも恐れぬカヴァレスが唯一恐れる老人、ギャレットである。
「のうカヴァレスよ。主の研究テーマは、いつから不老不死になったのじゃ?」
「し、師匠、それは言葉のあやというやつで……いや、違う、そうじゃなくて……」
 ギャレットの目に見えぬ気迫に圧されて、じりじりと後ずさるカヴァレス。
どうした? 不老不死の知識はもういいのか?
クク……いや、都合が悪くなった。不老不死は昔のテーマで、今は『なぜドワーフやグラスランナーには魔法が使えないのか』を研究しているんだ。そういうわけで、話はなかったことにしてくれ
 咄嗟にバイナルの研究課題を持ち出して無理矢理話を収めると、カヴァレスは挨拶もそこそこに廊下の彼方へ走り去った。
「やれやれ……あやつも困ったもんじゃのう。どれ、では儂も『意志あるシミュラクラ』と話をさせてもらうとするか。もし、そこの者……

 数日後、冒険者の店『銀の綱』亭を賢者バイナルが訪れた。手には袋を引っ下げている。
「おお、来たか報酬」
「……お前達、第一声がそれか?」
 目を細めて駆け寄ってきた冒険者に、しかしバイナルはいい顔をしなかった。当然である。
「それで、二人はどうなった?」
「まあ待て。先に報酬の話を片付けよう」
 どことなく不自然に話を反らせて、バイナルは椅子に腰掛ける。
「まず報酬だが、細かい査定の方は省略させてもらおう。地図の作成、つまり今回の依頼内容に対する報酬は4500ガメルということになった」
「クク、なかなかの金額じゃねぇか」
「こらこら、この金額が最終査定額とは言っておらん。お前達、机を一つ、叩き潰しておっただろう。その分は引かせてもらうぞ」
「何を言うか、バイナル。その机を壊さねば、スペア・キーが完成せず、従って調査も不完全なものになっておっただろうが」
 前もって予想済の問いだったため、オウガはすらすらと反論してみせた。しかしバイナルとて、一応は賢者の端くれだ。
「そう。そしてそうなっていれば、問題の実験室が君たちの判断によって封印されることもなかったわけだ」
 かなり恨めしげな声である。
「カヴァレス君の提出したスケッチを見る限り、あの部屋にはかなりの価値があったはずだ。魔法がどうのという以前に、古代の品々が封印されてしまったのは惜しい……。地図とともに事情を説明したところ、『これ以上は調査の必要なし』と、調査を打ち切られてしまったよ。
 もっとも、過ぎたことをどうこう言っても仕方がないわけだが、査定には反映させんとな。1000ガメルほど削らせてもらおう」
 もちろん冒険者たちは抗議の声を上げたが、バイナルはそれを鄭重に無視して話を進める。
「それから、君たちが袋に入れて持ち帰った水晶だがな。こりゃ、ただの魔晶石だ。魔術師が二人もいながら、こんなこともわからないとは情けない……。カヴァレス君、ギャレット導師があとで学院まで来るようにと言っておったぞ」
 顔面蒼白になってよろよろとテーブルに手を突くカヴァレス。その背中を「レス、気持ち悪いのか?」「カヴァ、だいじょぶ?」と、二人のグラスランナーがさする。実に哀愁漂う光景である。
「残っていた魔力の方は、大した量ではなかった。二つ合わせて、ちょうど10000ガメルだ。君たちが買い取る……とは思えなかったから、6分の1の金、1650ガメルも合わせて持ってきておいた。
 それから、『エンチャント・ウェポン』のコモン・ルーンのレンタル代金で、マイナス200ガメル。トータルすると、4500−1000+1650−200=4950ガメルだな。前金の1200ガメルを引いて、これが残りの3750ガメルだ」
 一人頭、前金の200ガメルと合わせて825ガメルである。バイナルは手に持っていた袋を机の上にトン、と置いた。
「……バイナル。ちと軽すぎないか?」
 その袋を手に取ったオウガが、疑問の目をバイナルに向ける。どう贔屓目に見ても、1000ガメル分もない。
「ああ、そうそう。お前が持っていったコモン・ルーンの代金3000ガメルを、そこから引いておいた」
「うっ……」
 オウガは咄嗟に頭の中で計算した。今回入ってくる額を合わせても、所持金は3000ガメルに満たない。
 コモン・ルーンの代金をどう処理するのか。それは彼の判断に委ねられるが、このままトンズラすれば追われる身になることだけは間違いない。
「さて。シミュラクラの話をしようか」
 真剣な顔つきになって、彼は語りだした。
 ──『たとえ自我があろうと、シミュラクラを受け容れることはできない。シミュラクラを抹殺すべし』これが、対策会議で出た結論だった。僅差ではあったが、シミュラクラ容認派は否定派に一歩及ばなかったのだ。想像通りと言えば想像通りの結果だった。
 ──しかし、会議終了後に彼らの部屋を訪れたところ、既にそこはもぬけの殻だった。学院の要請でオラン中に捜査網が広げられたが、いまだにシミュラクラが捕まったという報告は入っていない。
「おいおい……冗談じゃないぜ」
 絶句するウィード達に、バイナルは声を潜めて呟いた。
「シミュラクラを逃がしたのは、この私だ」
 一同がその言葉を理解するまでに、しばらくの時間を必要とした。歓喜の声を上げようとする彼らを目で制して、バイナルが小声で説明する。
「実は、対策会議が始まる前に我々の劣勢は既にわかっていた。だから私は、密かに逃がす方法を考えていたのだ。
 君たちの要請通り、すでに彼らは『ギアス』で魔法を使えなくした後だった。従って、彼らに自力で脱出する力はない。
 そこで私は、テレポートで彼らを飛ばすことを思いついたのだ。この魔法で、彼らをある場所へ移動させた。これに関しては、共犯者がいるわけだがな」
 バイナル自身に、古代語魔法を操る力はない。そこで彼は、容認派の最先鋒だったギャレット導師に協力を依頼したのである。実は先日の遺跡調査の折、ギャレットも同行していた。そこにはバイナルの、こんな思惑があったのだ。
「つまり──」
 と、ウィードがゆっくり口を開いた。
「二人は、あの遺跡にいるわけだな」
「うむ。遺跡の一室で、君たちが来るのを待っている」
「俺たちが? そりゃまた、どういうことだ?」
「わからんかね。彼らは、今のままでは社会に出られないだろう? 言葉を教えてやらんとな」
 バイナルが、ニッと笑みをこぼす。
「家主のランスには、『調査は当分終わりそうにない』ということで話を通しておいた。時間のある時には遺跡に行って、彼らに言葉を教えてやるといい。
 彼らが言葉を覚えた後どうするか──それはおいおい考えていこう。その頃には、学院も捜索を諦めるだろうさ」
 ここに来て、彼らもようやく理解するに至る。
 バイナルはおそらく、虚偽の調査報告をしたのだろう。賢者の学院の目が、二度と遺跡には向かないように──。なかなか周到な男である。いまだに独身ではあるが。
「彼らシミュラクラに希望が生まれるかどうか……それは、今後の君たち次第かもしれんな。あとのことは、君たちに任せる」

 その後、二人のシミュラクラがいったいどうなったのか。
 その問いへの答えは、6人の冒険者だけが知っている──。

Fin.

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