ラーダの学校
リコリスとライチは、青緑色のしっぽを弾ませながら歩くレヴィーヤを連れて、「モザイクガーデン」へと向かった。
すでに小振りになった雨の中、ドアの前で立ち尽くしてレヴィーヤを待ち続けていたミガク。しっかりと小さな身体を抱きしめるミガクに、リコリスは「優しいお兄さんにさよならしたこと」の理由を話した──
「現実化してしまうモンスターの絵を描かせていたデーモンで、レヴィーヤの命を奪おうとしていた」──ということを。
そして、傷ついているであろうレヴィーヤのフォローをお願いした。
■ライチ To:レヴィーヤ>ミガク
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(ドワーフ語)
じゃあレヴィーヤ、また明日ね。
(共通語)
……ミガク、彼女をよろしくね。
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■ミガク To:リコリス&ライチ
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うむ。おぬしたちも気をつけてな。
気のせいか、雨も優しくなってきおったわい。
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■リコリス To:レヴィーヤ&ミガク
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じゃあ、明日ね。おやすみなさい〜。
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■レヴィーヤ To:リコリス&ライチ
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(ドワーフ語)
うん! おやすみなさい!
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「モザイクガーデン」をあとにしたふたり。
ライチの案内で、「月影通り」からやや北寄りへと向かうと、真新しい白亜の建物と、庭の奥に見える小さくて古ぼけた礼拝堂が見えた。
敷地内に人の気配はない。入口と礼拝堂だけに、控えめな明かりが灯されている。
■ライチ To:リコリス
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うん。あっちの白亜の建物が学校……小さい子たちに読み書きや、簡単な魔法……主に精霊魔法を教えてるの。
庭にあるのが、礼拝堂。学校はまだ新しいけど、礼拝堂は昔からあって──
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説明しながらリコリスを礼拝堂まで促すライチ。
そこにひとりの人影があった。
■女性 To:ライチ
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まぁ、ライチさん!? 何時戻っていらしたの!?
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やわらかな栗毛の女性はラーダの神官服に身を包み、祈りを捧げていたところだった。
気配に気付いてライチを見ると、旧友に会ったかのように笑顔になる。
■ライチ To:女性(アーユ)
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久しぶり、アーユ。今日も夜勤だったんだ?
リコ、こちらはナギのお母さんのアーユさん。ここの学校の校長先生で、ラーダ神官でもあるよ。
アーユ、こちらはリコリス。えっとね……ハノクの船の護衛で一緒だった冒険者なの。
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■アーユ To:ライチ>リコリス
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そう……あっ、ごめんなさいね。
初めまして、リコリスさん。ハノクがお世話になりました。
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柔和で聡明そうな顔立ちは、ナギによく似ていた。
そしてナギそっくりな仕草で、ふかぶか〜とお辞儀する。
■リコリス To:アーユ
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初めまして、リコは一応ラーダ神官のリコリスです。
こちらこそ、ハノハノさんやナギくんにお世話になりました。
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ぺこりんと頭を下げた。
■アーユ To:リコリス
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ナギとも遊んでくださったのですね、どうもありがとう。
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■リコリス To:アーユ
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こんな時間にごめんなさい。
えと…ここの町に伝わる「描いたものが本物になる魔法の絵筆」で描いたものを元に戻す方法がないか、調べに来たの。
古くからある礼拝堂なら、なにか伝わってないかと思って……。
あと…海竜祭の元になったであろう大津波についても、なにかわかればいいんだけど……。
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■アーユ To:リコリス
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……? まほうのえふで、ですか……?
ええと、何の事だか……少なくとも私は、聞いた事が無いわ。
海竜祭の元になった事件は、今ではおとぎ話としてしか伝わっていないのです。
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■ライチ To:アーユ
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怪物が起こした大津波……って言われてるよね。
それを退治したのが始まりでしょ?
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■アーユ To:ライチ&リコリス
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「退治した」と伝わっているけれど、それには異説と言うか……違った見方で伝えるおとぎ話もあるのです。
たとえば、退治したのではなくて、「なだめた」……
怒りで興奮した怪物を、何らかの方法でなだめて、海に帰るように促したのだけれど、すでに大津波は起きたあと。
持てるすべての力を使い切ってしまった怪物は、弱々しく海に帰りながら、残された最後の力で子を産んだ……というものです。
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灯されたランタンが小雨で消えないように、そっと位置を変えながら穏やかに語るアーユ。
■リコリス To:アーユ
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……その最後の子については、何か伝わってるの?
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■アーユ To:リコリス
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いいえ、何も……なにしろ「おとぎ話」なので、事実か創作なのかどうかも、わからないのです。
ただ、「怪物が滅びた」という結末なのは、どの逸話でも同じなのですよ。
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■ライチ To:ひとりごと
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(エルフ語)
……滅びた……。
じゃあ……レヴィーヤの親は、もう……?
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■リコリス To:ライチ
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だからこそ、絵筆で描く必要があったんだと思う……。
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■リコリス To:アーユ
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海竜祭ってそもそもどんなお祭りなの?
武闘会があるっていうのは知ってるけど、他にも儀式的な行事とか、長年伝えられてきた何かがあるの?
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■アーユ To:リコリス
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元々は、海を鎮める……怪物が二度と襲ってこないように、大津波が二度と起こりませんようにと祈る祭事だったと聞いています。
けれど、それは昔の話……。
今では単純に、漁師たちを労い、町の人たちが日常を忘れて楽しむためのお祭りになっているの。
おとぎ話を伝える場は、こうした学校や、親から子へ枕元で話す機会だけ……。
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ふと、白亜の校舎を仰ぎ見るアーユ。
■アーユ To:リコリス
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たとえ創作や、脚色だけのおとぎ話であったとしても、伝えていかなければと思っています。
知識はいつか誰かの糧になり、無を生み出すことは無い──そう思っていますから……。
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■リコリス To:アーユ
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うん、リコもそう思う。だから、言い伝えられている話を調べたいの。
ここの礼拝堂に昔から伝えられている古文書とかある?
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■アーユ To:リコリス
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いいえ、ここに残されているのは礼拝堂のみなのです。
古い本でしたら、葉隠れ屋のハホリーナさんがお持ちではないかと思いますが……。
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■ライチ To:リコリス&アーユ
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会えたら苦労しない…か。どうしていつも会えないんだろうね〜、あの人。
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小さく息を吐いて肩をすくめた。
■リコリス To:アーユ
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あとあの……夜勤って誰かに代わってもらったりできないの?
実はその……昔怪物を怒らせてこの町を津波に襲わせ、魔法使いに2重の円の中にカエルになって封印されてた「悪魔」の封印が解けちゃって……。
「悪魔」自身はもう仲間が倒してくれたんだけど……。
その戦いの様子、ナギ君が見てて……。
怪我とか全くないし、ナギ君自身には危険は無かったんだけど……目の前で人がバタバタと倒れていくのを見ちゃったから……。
きっとショックを受けてると思うの。
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申し訳無さそうに伝えるリコリス。
■アーユ To:リコリス
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……? あ、あの、それはいったい……?
ごめんなさい、上手く理解できない……。
「悪魔」とは……? ナギは、ナギは無事なんですよね……?
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■ライチ To:アーユ
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大丈夫、オランから来た凄腕の冒険者たちが、危険を取り除いてくれたの。
妙なモンスターが出ちゃったってだけの話、……すでに片はついているから。
ね、アーユ。できれば今日だけでも、ナギとハノクのとこに……。
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■アーユ To:リコリス&ライチ
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……。
あの人がついていれば、大丈夫と思います……。
……あの、リコリスさん。お祈り……されますよね? 私、もう少し片付けがあるので……。
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控えめに声をかけるライチから目をそらし、礼拝堂の場所を空けるかのように一礼して身を引いた。
■リコリス To:アーユ
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ありがと〜。
そうそう、リコねおじいちゃんからきいたことあるんだけど、子供ってどうしてもパパじゃなくてママじゃないといけないときがあるんだって……。
あと、ナギ君はまだ5歳なんだよね………。
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■リコリス To:アーユ
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あ、リコ、今日はいっぱい神様にお話あるから、お祈り時間かかると思うの。
夜勤の人が忘れ物を家に取りに帰るぐらいの時間は、お祈りしながらお留守番できると思うな。
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リコリスはアーユを見て、優しく微笑んだ。
ついでライチに視線を移し、「あとはよろしく」とばかりににっこり笑うと、礼拝堂の奥に向かって入った。
ライチはその背中を見届けた後、アーユに向き直る。
■ライチ To:アーユ
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やれやれ、こうと決めたら一直線なんだ……小さなラーダの聖女はね。
……ねぇアーユ、そこまで送って行くよ。今日はもう帰ろう?
ナギを抱っこして、撫でてあげてよ。それだけでいいから……ね。
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■アーユ To:ライチ
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でも、でも私……あの人に──……。
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■ライチ To:アーユ
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愚痴なら道中に聞くよ、ほらっ!
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ライチはもう一度礼拝堂を振り返った後、アーユの手を引いて出て行く。
リコリスの背中の向こう側で、ふたりの足跡が遠ざかっていくのが聞こえた。
■リコリス To:ラーダ様
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(神聖語)ラーダさま、今日のお力添えありがとうございます。
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祭壇の前で跪いて手を胸の前に組み、一心に祈りを捧げ始める。
■リコリス To:ラーダ様
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(神聖語)どうか、今一度お力を貸してください。
リコはレヴィーヤを助けたい。あの子を悲しませたくないの。
絵の魔物は…もともと「こころ」の籠もった絵筆では決して生み出せないといわれた存在は…絵を燃やせば消えるのかもしれません。
でも、それではレヴィーヤが悲しみます。
絵の魔物が未だ「イザナク」の命令下にあるのなら……その命令を無効にし、本来の「主」であるレヴィーヤの意思―「いっしょにうみにかえる」―を反映させる方法は無いのでしょうか?
リコの「知識」が足りないなら、それを求めに行きたいのです。
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リコリスは脳裏に、知識が得られそうな場所―礼拝堂、葉隠れ屋、白馬、ウズマキの木、ギャラリー「ハプルマフル」、“静謐”の絵、“シトラス”の絵、シトラスの墓、墓地地下に積み上げられた羊皮紙、カエルの封印―を順番に描いていった。
しかし、そのどれもが波間に消え行く泡のように、浮かんでは消えていくばかり。
ぽた、ぽたと雨の雫が礼拝堂の屋根から落ちて、床を穿つ音だけが響いてくる。
時の経つのも忘れてリコリスは祈り続け、祭壇に置かれたろうそくの炎が弱くなり始めた頃、背後に再び気配を感じた。
アーユを送り、ひとり戻ってきたライチは、まるで聖女を守る騎士のようにリコリスの背後の柱の傍らに立ち、黙って祈りが済むのを待ち続けた。
■ライチ To:リコリス
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リコ……かみさまは、応えてくれた?
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祈りが済んだ頃を見計らって、そっと声をかけるライチ。
その姿を見たリコリスの脳裏に、あるイメージが浮かんできた。
パティを通して見ていた、『静謐』に身を宿したドワーフの絵描き、ゴルボロッソ。
彼とライチが、まるでお互いを懐かしむかのような表情で向かい合っている。
「ふたりを引き合わせること」──そんな単純な言葉が、しかしはっきりとリコリスの心に舞い降りてきたのだ。
■リコリス To:ラーダ様
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………あ。
ラーダさま、ありがとうございます。
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■リコリス To:ライチ
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ライさん、帰ろっ。
会ってもらいたい人…? お化け……?
ん〜、詳しくは歩きながら説明するけど、とにかく、一旦宿に戻ろっ。
ウーさんとリュナナにあの絵、どこにあるか聞かないと。
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■ライチ To:リコリス
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え? え?? オバケ……?
りゅ、リュナナって誰……ちょ、ちょっとリコ!?
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リコリスはライチの手を取ると、足取り軽く宿に向かっていく。
道中に、さっきは話しそびれたライチが倒れた後のことを伝えながら――。
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