カエルな悪魔
「ライト」の光が、少しずつ部屋の闇を退けていく。
散乱している羊皮紙以外は何も無い、がらんとした空間が続いていたが、やがて、床に異様な円形の文様が現れ始めた。
それを見たライチが身を固くした。
文様は半径3メートルほどの二重円の魔法陣のようだった。かなり高度な上位古代語がびっしりと書き込まれ、その場に確実に魔法的な力場が働いていることが読み取れる。
そして、光が魔法陣の中央を照らし出すと──
■漆黒のカエル To:ライチ&リコリス
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……ケロ、ケロ。
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そこには、全身真っ黒で、人の頭ほどの大きさを持ったカエルが座っていた。
■リコリス To:漆黒のカエル
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うっわぁ〜、おっきな黒カエルさんだ。
あ。こんにちは。お邪魔してます。
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ぺこりと頭を下げて、ご挨拶。
カエルの前には、リコリスの読めない文字が1文字ずつ、規則的に羅列された羊皮紙が数枚、広げられていた。
■ライチ To:リコリス
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あ、あのね……リコ。そのカエル、たぶん私が探してる「悪魔」だと思うよ……。
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■リコリス To:ライチ
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え? これが悪魔さんなの?
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■ライチ To:リコリス
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カエルな悪魔がいるって、リコリスも言ってたじゃない!?
それに……この姿、見覚えがあるの。幼いとき……にね。
これが「悪魔」だなんて、あのときは思いもしなかったけど……。
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思わずツッコミを入れたあと、ふと冷静になって言葉を続けるライチ。
漆黒のカエルは、赤い輝きを持つ目をすっと細め──まるで笑っているかのような表情を作ってリコリスを見つめた。
■リコリス To:ライチ
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あ、ほんとだ。なんか肯定されたような気がする。
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■ライチ To:リコリス
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…………。
これ……ドワーフ語、だね……。
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警戒しつつカエルを見つめていたライチが、慎重に魔法陣へと近づき、目を凝らして羊皮紙を確認してから言った。
■リコリス To:ライチ
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そうなの? ライさん読める?
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光石をゆっくりと床に置き、杖を握り締めて、カエルをまっすぐに見つめる。
■ライチ To:リコリス>漆黒のカエル
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ううん、これは文章になってないよ。文字そのものを、ひとつずつ並べてあるだけ。
これがあれば、……自分は喋れなくても、ドワーフ語を理解するひとと意思疎通ができる……。
文字を指し示して、相手に伝えればいいんだから。
──そうでしょ?
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突然、カエルの姿がぐにゃりと崩れ始めたかと思うと、みるみるうちに縦方向に伸びて行き、ライチと同じほどの長身の人型に変化した。
その姿は、漆黒のローブに身を包んだ、浅黒い肌の銀髪の男性。
■リコリス To:ALL
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うわぁっ、変身した!
カエルじゃなくなっちゃった〜。
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ちょっぴり残念そうだ。
■ライチ To:リコリス
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リコ、残念がらないのっ。
変身……じゃなくて、たぶん……元に戻ったんだよ。
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■銀髪の男性 To:ライチ>リコリス
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カエルの姿のほうが、絵の描き手に受けがいいもので。
まだ封印の「解除」が完全ではないので、この姿をとるのは疲れるんですよ。
こんにちはお嬢さん、僕のことは「イザナク」とでも呼んでください。
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そう名乗った男性は、リコリスに向かって優しい笑みを浮かべ、優雅にお辞儀をした。
■リコリス To::イザナク
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あ、初めまして、リコです。
イザさん、ここでなにしてるの?
絵描きさんってだあれ? イザさんのお友達なの?
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■イザナク To:リコリス
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リコですね、よろしく。
「海のおともだち」を作っているんですよ。
海の向こうからやってくる、“ヴィルコ”が寂しくならないようにね。
絵を描いてくれているのは──
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押し殺すような低い声で、ライチが言った。
■イザナク To:ライチ
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ええ、そうです。
彼女は僕が促した通り、一生懸命絵の練習をして、ご覧の通りの腕前になりました。
彼女は、僕が褒めれば褒めるほど上手くなっていきました……素直な、良い子です。
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ルビーのように赤い瞳を持つ目を細め、悦びの感情を浮かべる。
どこか開放的な、狂気じみた輝きを宿して。
■ライチ To:リコリス
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……リコ、レヴィーヤはね、ナギの友だちで……良く一緒に、絵を描いてる。
1年前、私が保護した孤児なんだ……今は、ミガクの養女。
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イザナクから目をそらさずに、素早くリコリスに説明するライチの声には、静かな怒りの感情が混じっているように聞こえた。
■リコリス To:ライチ>イザナク
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あ、聞いたことある。
確か、武闘大会で優勝したって子。
絵も上手なんだ〜。
海のお友達を作るって事は、その子はヴィルヴィルのお友達なの?
あれ? もしかしてお友達作って、ヴィルヴィルがこの町に来てくれるようにしてるの?
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小首をかしげて、聞いてみる。
そして、ライチの様子を窺うと、不安そうにそっとライチの右手を握り締めた。
ライチの手のひらは怒りと緊張のせいか、熱く強ばっていた。
深い碧の瞳が、様々な思いを巡らせて揺れている。
■イザナク To:リコリス
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レヴィーヤは、“ヴィルコ”の子ですよ。
彼女は、イーエン……イーンウェンの海底に沈んだ親に会いたくて、その姿を忠実に絵に描き起こしたのです。
もっとも、彼女は親の姿を覚えていませんでしたから、教本が必要でしたけどね。
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■ライチ To:イザナク
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な……に……?
レヴィーヤが、ヴィルコの子……?
……。
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■リコリス To:ライチ
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え? え? ヴィルヴィルって町を襲った怪物じゃなかったっけ?
なんで人のレヴィさんがヴィルヴィルさんの子供なの?
あれ?
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■ライチ To:リコリス
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……レヴィーヤが、たぶん、ひとの子じゃないっていうのは……私もミガクも、うすうす勘づいてた。
神秘的な髪の色を持っていたし、他にも……いろいろ……。
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■リコリス To:ライチ
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そうなの?
今度紹介してね。
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もちろん、ここから生きて帰ること前提で。
しかしライチの横顔は、まっすぐイザナクを見つめたまま動かなかった。
■イザナク To:ライチ&リコリス
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「親に会いたい」──そんな願いを叶えてあげられる方法を知っていながら、彼女に教えないなどということは、僕にはできませんでしたよ。
それが、彼女が大好きな「絵を描くこと」によって叶えられるなら……なおさらね。
だってそうでしょう? 誰にでも、親に抱かれ、慈しみの愛を受ける権利はあるはず……
あなたにも、……リコ、君にもね。
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青ざめるライチの表情を、すっと細めた目で見やってから、イザナクはことさら優しい声でリコリスに語りかけてきた。
■リコリス To:イザナク
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………リコ?
リコはいいよ。
やさしいおじいちゃんとおばあちゃんが育ててくれたし。
本当の親が誰か気にならないわけじゃないけど、無理に捜そうとはもう思ってないよ。
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少しだけ、戸惑いながらも、何かを恐れるように小さく肩を竦め、首を振った。
それを聞いたライチが、そっと握った手に力を込める。
ふたりの様子を見たイザナクは、ただ目元に柔和な微笑みを浮かべていた。
■リコリス To:イザナク
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………ってあれ? ライさんのママが死んじゃったのって……。
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ライチを案ずるように見やりながら、イザナクを見つめた。
■イザナク To:リコリス>ライチ
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ええ。彼女のママが望んだことです……。
「自分の命と引き換えでも良い。娘にもう一度未来を」──とね。
大きくなりましたね。あんなに小さな体だったのに。
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イザナクはすっとローブの裾から腕を出し、まるで懐に招き入れるかのような仕草でライチの前に差し出した。
しかしその手は、肘から先が黒く染まり、手のひらには水かきがついていた──カエルそのものの形で。
■ライチ To:イザナク
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……聞きたいことが2つあるの。
ひとつは、本当に母は……私を生き返らせることを望んでいたのか。
もうひとつは……自分が犠牲になることを、知っていたのかどうか……。
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リコリスの手を握るライチの手に、徐々に力がこもっていく。
その時、リコリスの使い魔──パティを通して見る視界に、一瞬心を奪われる影が映りこんだ。
ふと見上げた上空に、シグナスの使い魔アイゼンとおぼしき影が、大きく弧を描きながら旋回していたのだ──まるで何かを探しているかのように。
■リコリス
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(あ、アイゼン! シグ先輩、はやくこっちに来て〜!
早く早く〜!)
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ライチの手を握る手に、リコリスも力を込めた。
そして、イザナクを警戒するように見つめる。
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